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シン・コギン 雑記


一連のイベントが終わり、ほっとしながらこの記事を書いています。

季節外れのこの画像は先々週、東北へ戻った際のもの。「お祭りの全日」に撮った紫陽花です。

話がジェット気流の勢いでそれてしまうのですが、このお祭り(私の中の)の合間に「シン・ゴジラ」を観てきました。

監督の庵野さんといえば、エヴァンゲリオンで知られていますが、今回このシン・ゴジラ大変に素晴らしかったと言いたいです。

画面の切り方(?わたしはど素人なので専門用語がわからずすみません)や場面進行、カメラの動かし方などはやはり見覚えが有り、庵野さんだなあ!と感じました。

機会があり、庵野さんが’83に作られた自主映画「帰ってきたウルトラマン」を観たのですが、この時からもうおおかたの手法は庵野さん自身の中で決まっていたのだなぁと驚きました。

その手法がより洗練されてエヴァになり、さらに進化してシン・ゴジラになったのです。

なにがいいたいのかというと、私はシン・ゴジラのまえにエヴァのファンでしたが、ゴジラは一作も観た事がありません。また、特撮の知識もないのですが、今回の映画が大変面白く、感激したことは間違い有りません。

これをとても強引ではありますが、こぎんへ戻して考えたい。

今回の展示に際して、考えた事がいくつかありました。

一つは私はもう若手ではない(かもしれない)ということ、年はアラサーですが、独立してからの活動期間で言えば4年になります。

もう一つは、こぎんの多様化について。

私は、伝統的なこぎんを表現したいと思っています。ただ、伝統的というのが実にやっかいでともすれば、見慣れたもの、洗練されないものになってしまうかもしれない。

ただ、それも一種の記号であるから、こぎんとはこうであるという目印がないと、何か分からない刺繍になってしまいがちではないか。

洗練されないものを美しく見せる、というのがわたしの仕事かもしれないとも思う。

もう「若手」だから、「こぎん」だからという評価ではみてもらえないし、いつまでもそこで安寧を感じていてはいけない、と強く思いました。

そして、シン・ゴジラのように誰が観ても面白い、震えるものを作れるというのはどういうことかと考えます。私もそんな作品が作りたい。

すごいと思いませんか、ゴジラを知らない者が感動する、またはいままでのゴジラを観たいと思い、特撮に興味を持つ…。

アーティストというのはこういうことを言うのではないでしょうか。

間違いなくこの映画は歴史に残るでしょう。

庵野さんは「日本の映画を変えたい」と仰っていました。わたしは今まで失礼かもしれない、庵野さんはアニメ監督だと思っていました…。

しかし、庵野さんはまちがいなく今作で邦画の歴史を塗り替えられたと思います。

+++

柳宗悦は「醜い「こぎん」はない。一枚とてない。捜しても無理である。品に多少の上下はあろう。模様に幾許かの甲乙はあろう。だが悪いものとてはない。なぜ醜い「こぎん」がないのか。別に秘密はない。法則に従順だからだと「こぎん」は答える。この答えよりはっきりしたものはない。」と語っています。

私はこのお言葉に、天上にも昇るような確かな希望を感じます。また同時に、這い上がれないような壁も感じます。

私は以前自分で模様を作った事が有りました。しかしそれは裏の糸の渡りの多さ、刺しにくさから自分の模様の不完全さを知りました。

それから私は新しい模様を考える事は辞め、伝統模様の展開や地刺し、または模様の組み合わせでこぎんを表現する事を決めました。

凡庸さがあるかもしれない、しかしそれを現代の目に耐え得るものにするのが私の仕事です。

でも、そんなことをせずとも美しいのが、柳宗悦さんの仰る、こぎんです。うーーむ。

+++

話を庵野さんに戻しますと、エヴァや震災があって、いまの庵野さんがある。経験がなければ成されない作品もあります。

そういった意味で今回の三越展で私には新風が吹き荒れました。

まだ風はあらぶり、翼の制御は取れませんが、いつか気流に乗り、高みへ昇る事ができると確信しています。

否定的な意味の強い記事になってしまったかもしれません。

もし否定を感じるとしたら、それはいままでの私自身への否定で、周りへ向かってのことではありません。

悩んだり、考えたりすることも私の仕事だな、と思います。

私をこぎん刺し作家でいさせてくれる家族やお店の方、応援してくださる皆さんに、ありがとうの気持ちを。

そして、三越展、おつかれさまでした!

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