角舘的こぎん(人生)感
- Noriko Kakudate
- 2018年3月4日
- 読了時間: 2分
とはいえ、私自身がこぎんを刺す以上は知識と、それに裏付けされた行動は必要になってくると思います。
しかしそれは私自身がもっていればよいことで、それを教室で強要はできないと思う。
教室はそれぞれがプレイヤーでそれぞれの美意識でそれぞれのゴールへむかっていくべきだと思うから。
***
それを踏まえて私自身のいまのこぎん感を語りたいと思う。
私は、草木染めの綿糸とオリジナルの麻布を使ってこぎんを刺している。
伝統模様に乗っ取った、でも独自の模様も作っている。
ここで間違えたくないのは、草木染めを使っているからきれいなのではなく、美しい色を選んで、かっこいいと思える模様を刺すから作品が見栄えるということだ。
草木染めだから必ずしも、美しくなるというわけではない。草木染めだから安心、という判断だけでしか作品の事を考えないのは、もったいないと思うし少し危険だ。
また、私の選ぶ材料は市場に出回っていないものだから貴重であるかもしれない。
しかし貴重だからといって、それ自体が価値になってしまうと、判断基準としてはつまらなくなりそうだ。
自らの美意識をフルに使って、材料を選び、作品をつくること。それがこぎん刺しで表現をするということで、もっと言えば作家の使命だと考えている。
”自然だから、手仕事だから”、という価値。そこに安心していては、だめだと思う。
自然からしか表現できない色、手だからしかできない事、それがなくてはいけない。
それがなかったら、乱暴なようだけど天然染めでなくたって、手仕事じゃなくたってよいはずです。
***
実を言うと、最近のこぎん刺しの盛り上がりは、自分も身を置いていながらだけど、疑問に思う部分がある。(しかしそれがもちろんきっかけで、声をかけてくださっている方もいる訳だから、大変失礼な発言かもしれない。ごめんなさい。)
こぎんって、手仕事って、人間って、青森っていう土地って、ずっとそこにあって、これからもあるもの。
ここ数年で自然発生したものではないはず。でも、そんな風にみえてしまう。私だけかもしれない。でもそういう風に見えてしまう事が、とても悲しい。
私という人間もそうだ。30年間ずっと存在していて、人生があり紆余曲折があって、こぎんと青森と出会った。あたりまえだけど、いきなり発生したわけではない。5歳の頃、10歳の頃、20歳のころもあった。
もっと冷静にこぎん刺しと、そしてクールに作品と、向き合っていかなければこれからはいけない。
本当の価値は、どこにあるか問い続けなければならない。