角舘的教室感
- Noriko Kakudate
- 2018年3月2日
- 読了時間: 3分
長い間旅にでていたようで、結局はずっとここにいて、ここでこぎんを刺しています。
こぎん刺しの人気は衰えずに、ほそぼそながら私もこぎんを刺し、たまにお教えしながらなんとかいままでやってきました。
先日、ランニングの際にもうニットの帽子はいらないな、と素あたまで走りにいきました。
すると、道のすみでのそりと動くものが。
君もか、ウシガエル。陽気にさそわれて土を脱いででてきたんだね。車に気をつけるんですよ。
そんな春のスタート2018でした。
人見知りで話べたな私ですが、いくつかの教室を開講し、多くの生徒さんに会い、関わることができています。
近年のこぎんの人気はすごいと思う反面、正直なところ少し怖いと感じてしまうことがあります。それは私が教える立場にいるということです。
そのひとつとして、教室の運営の仕方なのですが、長く通ってくださっている方はもうお気付きかと思いますが、こぎんって、ある程度刺せるようになるとあとは根気と完成度を上げるかどうかにかかってくるんですね。
こうなるともう私の出番はなく、生徒さん個々人で極められていくしかないと思うのです。
こぎんはそこまで到達できるのが比較的早い分野だと思います。そこからは独りで進んでいくしかありません。
でも、教室ってそれだけじゃなくて、同じように独りで進む仲間と作品を見せ合って切磋琢磨して、こぎんの話題で盛り上がって、それが楽しかったりしますよね。
私はそこへ同席できるのがなにより嬉しいと思っています。こうなると講師と生徒さんという関係ではなく、こぎんを刺す仲間同士ということになりますね。
私はうまいとかへたとか、偉いとか偉くないとか、知っている・知らないとか、そういう価値観では活動できないなと最近思うようになりました。
(こぎんの良さわるさ、上下なんて誰が決められるでしょうか)
自分が知っている事をお教えして、ここをこうすればもっと良くなる、とかかっこ良くなる!とかそんな話題を、共有できたらいいなと思います。
そんな教室が楽しいと思います。
*追記*
今日のランニングを終えて帰って、考えたのですが、“切磋琢磨”という言葉も強いですね。互いが互いを師とし、高め合えるのが理想です。
昔の津軽でこそ刺し競われたこぎんですが、現代の世でこぎんを刺すときは、競うという概念なく納得のいくものを作りたいものです。
冬期五輪では、競技前に編み物をする外国の選手がいましたが、これは普段みなれたもの、触れ慣れたことをすることで心身を落ち着かせるためらしいです。
こぎんもそんな心のシェルターのような行為になればよいのにと心から思います。
いえ、私がそう感じているからこそ、共感し合えたら素敵と考えているのです。