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角舘こぎんの夕べ 第4夜

《Day art Challenge 4》 前夜は角舘のこぎんのこだわりについてお話しました。今回は全体からみたこぎん刺しの流れと、自分自身の流れを振り返ってみたいと思います。 それでは、角舘こぎんの夕べ•第4夜始まります。 <これまでのこぎん刺し> これまでこぎん刺しは2度の流行がありました。 第一次は昭和初期•民芸復興運動の時期です。弘前市に旧木村産業研究所(現弘前こぎん研究所)が設立されました。そこでは県内のこぎん刺しの収集とその模様がまとめられています。 第二次は昭和中期〜後期、民芸色の強かったこぎん刺しが大衆化され、手芸の一部として親しまれるようになりました。 そして現在、第三次の流行となるでしょうか。昭和の頃大衆化されたこぎん刺しが、全国へ普及し、こぎん刺しはもはや青森だけのものではなくなりました。 雑貨寄りのこぎん刺しが増え、和テイストにとどまらず、洋風の模様や、洋のテイストにも合うものが様々な作家さんにより作られ出回っています。 <これからのこぎん刺しを考える> 3回目のブームを迎えるこぎん刺しは、一つのジャンルとして確立し、多様なテイストで表現され、作家さんを次々と生み出しています。 そんな中、自分自身のことを考えると、私は今こそ原点へ戻ってみたいと感じています。 流れに逆行する動きは、あるいは苦しいかもしれませんが、長い目で見て、こぎん刺しを後世に残すべき技術として捉え考えると、やはりそれが正しいように思うのです。 それが第2夜でお話した、 “こぎん刺しとは古作の再現であるべきか否か。なにをもってこぎん刺しと呼ぶか。” ということに関わってくると思います。原点回帰の中にこそ、これらの問いの答えが潜んでいる気がします。 しかしこぎん刺しを生業とするとき、これを実践するのはおそらく難しいでしょう。 そういった意味で、この2つは一生ものの問い、テーマだと言いたかったのです。 なぜ私がこの様な考えに至ったかといいますと、昨年出展した展示会で経験したことが引き金となったように思います。 http://www.kouboukaranokaze.jp/d-voice/3041/ 時が経ち、今となったから言える事ですが、紹介していただいた当初はとてもショックを受けました。私はこぎん刺しをもっと親しみやすいものとして作っていきたかったからです。また、そう作ろうとしてもきました。 しかしこの紹介文にあるように、作家全員が同じ方向を向き、制作していくその果ては、確かに苦しいものが待っているかもしれません。(飽和状態となった作品たち。そして類似品の増加、横行する正誤不確かな知識。) 原点へ帰るか流行を追うか。どちらを選んでも苦難が待つなら、私は自分が、正しいと思う方角へ進みたいです。 かすかに残る先人たちの足跡を、手探りながらも辿っていけたらと思います。 さて第4夜、これでは角舘こぎんの夕べっていうか懺悔って感じですね。なにやらシリアスな展開になってきました。 明日はいよいよ最終夜<角舘のこれからのこぎん>です。どうぞお楽しみに。 作品画像  こぎんのリボン 発売開始年月日’13.5月~

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