制約とアイデンティティ
こぎんにはいくつかの決まりがあってーそれはモドコと呼ばれる伝統模様を使うことだ
と私は考えているー、しかしその制約の中では自由に動き回れないことがある。
自由な動きとは、作家としてのアイデンティティや、主張をすることになるわけだけれど…。
そのぎりぎり、間で踏みとどまることがいかに大切か最近考えることが多い。
こぎんではない刺繍と、こぎん刺しの間には何があるか。
そして欲をいうなら伝統模様の組み合わせである自分の模様に、音楽でいうところの
“something else"が宿ることはあるのか。
宿るというのは受動的で頼りない。宿すことはできるのだろうか。
噛み砕くと“味”とか”心地良さ”だろうか。
本来なら自分を主張できないところで、主張せねばならない。
まずは自分のアイデンティティよりもこぎん刺しのアイデンティティを探求せねばと思う。
モラトリアムな作家である。